今年の中国も今回で終わり、いま20度くらいなので日本に帰ったら寒すぎて死んでしまう気がする。今年は少ない4回だけ行った、4回中2回は風邪引いた、毎回白酒飲んだ、ミスって紹興酒飲んだのは一回だけ、日本で紹興酒飲んだところ次の日高熱が出て会社を休んだのは内緒、マッサージは毎回、中国にくるたびに中国語が少しずつわかるようになっていて嬉しい、来年こそは検定とりたい、そういえば人生で「努力」なんぞとくにしたことないので「努力した!」と自分で言えるくらいのことを一度はしておきたい、去年よりも実務が増えて自分が話さないといけない立場になってきてすごく緊張感があるので帰国するとめちゃくちゃ疲れていることがわかる、この業界では私は若手中の若手なので頑張らないと、業界狭くて簡単にはやめられない、、廈門は住みたくないけど、好きな街なのでもっと中国語できるようになって快適に過ごしたいにゃ〜ん、今回は水餃子のタレを購入したので、先日蕎麦打って余った強力粉で餃子やろうねそうしましょう、いまはそれよりも日本の味噌汁とごはん、漬物を食べたくて、食後は日本のアイス食べたい、関係ないけど天皇誕生日鴨川ビールはアイスケーキ買っていきますねお楽しみに!!!!!!!
5年後の自分へ
5年もあれば人は色々あるもんですね。
5年前の2011年は社会人1年目で、一度も行ったことのなかった土地で働いて、大好きな土地になったなあ。その時はまだはてなのこともうっすらしか知らなかったなあ。
そのあと、はてなの人とたくさん知り合ったり、インターネットで友達がたくさんできたり、仕事で体調を崩して休職して求職して、新しい仕事を見つけて、中国に行きまくっていたり。。。あと諸々あったなあ。。
5年後の自分へ。もう30歳を超えている。結婚したりしてるのかなあ。してないかもしれない。子どもとかいるんだろうか。今の仕事は続けているんだろうか。京都には住んでるのかなあ。「楽しい」「ワクワク」だけではないかもしれないけど、どうか、「楽しい」「ワクワク」する方を選んで生きてほしい。頑張って生きてほしい。人生はどこで生きるかではない、そこでどう生きるかなのである😃
はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
関西弁の日記
先日会話をしている時、関西生まれ関西育ちの人間ばかりが集まって標準語を話しているということに気付いてしまって、よく考えたら意味わからんし、関西は最高やし、東京には住みたくないし、そもそも中学生のとき東京から戻ってきて標準語やった私はすぐさまハミゴにされて、悔しくて辛かったから必死で関西弁を覚えて使ってきたのに、近年はインターネットの人たちが標準語であることから、自分も標準語で話す機会が多く、それが普通になってて、なんでなん?おかしない?ってなったんやけど、例えば仕事で日本語のできる中国人に関西弁を使うとたまに「・・・?」という感じで会話が止まるし、まあ相手が標準語を話しているので自分もつられて同じように話していて普段はそんなことないんやけど、あ、そういえば中国の人としゃべるとき若干カタコトになるんめっちゃ恥ずかしい、まあそれは置いといて、この話をしていた相手も関西生まれやのになぜ我々は標準語に・・?と思って途中で関西弁を使ってみようと頑張ってみたものの(私が勝手に)やっぱり無理やったので諦めた。会話できたらなんでもええか
引っ越すのやめた
とにかく思うところがあり、引っ越すことをこの何ヶ月か考えていて、実際家を見に行ったりしたんだけど、やっぱり思うところがあって、今の家にまだ住むことにした。周りの皆さんざわつかせてすみません。。
めんどくさいとかそういう理由ではなくて、そもそも引っ越したいと思った第一の理由は「気分を変えたい」だったので、その代わりっちゃなんだけどこの家に住み始めて以来最大の断捨離&お片づけ中です。欲しい棚が12月にしか来ないのでしばらくは人呼べなさそう。。。
この家に住んで5年くらい経つ。その間、いろんなことがあった。
たくさんの人々が笑って、歌って(暴れて)、楽しいねって言ってた。悲しい出来事もあったけど、どちらかといえば楽しい思い出の方が記憶にあるので、まあいいかなと。
だけども、ずっと立ち止まってはいられないから、昔のものや、もう使ってないものは大体全部捨てて、クローゼットがかなりスッキリした。モノを減らしてスペースができる感じだったので、観葉植物をいくつか買ったり、花を玄関に置いたりした。そんな感じでやっていってたらなんだかここ数日楽しい日々だったのでラッキーだった。
そんなことで今後生きていけるのか知らないけど、まあ楽しいと思えたら、昔の自分に比べたらそれだけで成長したなあと思う。27歳の秋。